力量論抄

 用神の取用法に付いて、授業中に、とても面白い、とても有意義な、質問を受けました。

 その質問を要約すると「辛日の身旺の人にとって、甲の正財は用神の働きをし、常識が有って計画性が有って、無条件で良い働きをするとすると習ったのですが、身旺にて正財が命式中に無くて、甲の正財が大運に突然くると、却って災いを発生すると判断したのは何故ですか」と言う質問でした。
 
 この疑問に対する重要な点は、命式の構造・用神・喜神の力量などに依って、用神が正常に機能するのか、しないのかと言う点にあります。

 この場合の様な命式の判断をするためには、予め身旺で原命式に甲の用神を持って居るか、壬の傷官のみを持って居るのか、又は甲の用神も壬の喜神も共に持って居るか居ないのか、を分別して置かねばなりません。



 この質問の場合は、全く壬の喜神も甲の用神も持って居ない命式にて、 甲寅の大運がやってきた場合の事です。


 身旺の者が、壬の喜神のみが来て甲の用神の無い時には、楽をしてお金や利益を得ようと思う欲心のみが働き、争いを起こすよりも、手段を選ばず自分の目的を引き寄せようとします。

 また、命式に壬の喜神も甲の用神もない時に、突然甲の用神が大運などに顕われた時は、他人の物でも奪いたくなり、自らも災いを蒙る可能性が有ります。
 

 辛日の申月や酉月の身旺の場合に、用神として甲を必要とし、喜神としての壬を必要します。
 
 特に甲を常識の星と見做し、壬を欲心の星と教えており、これに付いては全く異論は有りません。

 ただし、極身旺の命式で、最初から命式中に甲の正財が付いている物と、命式中に全く甲が付いて居らず、大運に突然甲が来たものとでは、力量の違いや命式の構造や力量の違いに伴って、鑑定には相違を生じます。

 この判断に付いても、明らかな違いを以って鑑定をするためには、力量の違いと命式の形の違いに精通せねばなりません。

 元来、比肩劫財はファイトの星・努力の星・欲心の星・焦りの星でもあります。

 もしも身旺でも、原命式中に甲の財神が一つでも付いていると、本質的に常識的な人間であるべきだと思う気持ちを、最初から持って居る事に成ります。

 その常識の気持ちの強弱は、甲の多少と強弱に因る事は、お分かり頂けると思います。


 もしも、命式中に比肩・劫財や印綬・偏印等のみが有って、普通命式と成るときに、甲の財神が無ければ、我欲のみで構成された思考法で行動を起こす人と成りますが、一見すると、命式に財神を持って居ないので、真面目で欲心は無いように装って居ます。

 しかし、命式中に無くても、財が用神である事には変わりがなく、財に対する非常な興味と執着心を隠し持っております。

 この様な命式の人が、甲寅等の運が大運に来ると、確かに用神ですから、本人には良い事が起こるように見えますが、元来は常識の星を備えて居なかったのですから、突然甲寅の常識の星が来たからと言って常識は身に付き難く、ただ財神が目の前に出現したと感じるだけで、用神としての働きは未成熟です。

 その為に、この人は本人は幸せでも、周囲の人には迷惑を掛ける事に成り易く、最終的には自分自身も行き過ぎて、他人の財を奪う事を試みて災いを発生するので、必ずしも吉運とは判断致しません。

 この理論は、強旺格ににも当て嵌める事の出来る理論ですので、活用してください。 


  
 この質問の様に、一歩踏み込んだ、微妙な力量の変化に付いての質問が、出来る様に生徒さんが成長してきた事は、非常に喜ばし事だと思って居ります。

緒方泰州と断易と推命学


 私は実は、推命家であるとともに、断易金澤流の黄金策を実践鑑定として、使いこなす事の出来る、恐らく最後の継承者ではないかと思います。
 
 私は、推命学を学ぶ前に断易の理論活用法・応用法を完全にマスターしていたことが、後々難解で未完成な推命学より脱出し、発展的な新たな推命学の実践技術の開発を独自に創作するには、非常に強い味方と成りました。


 断易は、今から2500年前の春秋戦国時代に鬼谷子によって、周易の不足を補う為に造られた、干支術である事は周知の物だと思います。
 また、推命学も典型的な干支術であり、どちらも干支術を代表する占術です。

 推命学はいまから1100年位前の、北宋時代より徐々に研究され形成され、明初の劉誠意によって完成された様なのですが、完成と同時に滴天髄という四柱推命の目次的な書物と、断易の完成形の黄金策を残して、世の中より消滅した物です。

 断易は、日辰・月建と得卦に納甲した物を用い、得卦には世爻と応爻が存在し、それぞれが四柱推命の機関に対応し、大運は断易の日辰に、歳運は断易の月建に値り、生日・日干は世爻に月干の、社会運は応爻に対応しており、実は、断易を横に展開した構造が四柱推命の構造と解釈でき、その様な使い方をすれば、非常に理解し易く成っております。

 何しろ、劉誠意が完全な形で継承してきた断易と、自らの手で完成した四柱推命学には、非常に近接した理論と共通性と凡用性が有り、同一の原理や考え方が貫かれています。

 中国にても推命学の解明の為に、断易の理論を用いる試みが成されて居る様ですが、残念ながら、中国では断易の使い方が消滅して居る様で、中国で易と言えば五行易を指すのです。
 

 その故、自然に五行易の理論を四柱推命に応用しようと試みた様で、冲去や合去や干合去等の五行易理論を推命学に取り入れ、ただでも内容の釈然としない四柱推命の理論を展開するも、更に混迷の度を深めているようです。



 日本には、江戸時代位から断易が輸入され、それなりにかなり、研究が進んで居たようで、五行易とは全く内容の違う、断易を完全に使いこなせる流派が、関東に九鬼流・諸口流が有り、関西には金澤流が存在しておりました。

 私は、推命学を勉強する前に、金澤流の達人であった、辻二元先生より劉誠意の黄金策の理論と応用法と実践法を完全にマスターさせて頂きましたので、四柱推命学の欠如して居る処や、間違って居る処や、不備な処等を新たに補修し、力量論や演式論や命式の型式論や、従来の調候用神法とは全く視点を違えた、泰州独自の用神取用法などを発明し、今迄の推命学を再構築しました。

 この様に、不完全な四柱推命学を補足充実するためには、断易の理論が非常に有効な手掛かり足掛かりに成りました。

 もしも、推命学の習得が出来て居るならば、断易の習得を目指される事をお勧めいたします。


 それから、四柱推命学の原書に付いてですが、劉誠意以後清朝から民国まで、なんとか劉誠意の理論まで、推命学を再構築しょうと努力した人々の痕跡が原書と言われる物ですが、それぞれの原書には相互に繋がりは無く、単独に個人的な独善的な要素も含まれた、未熟な点の有る見解と見做さねばなりません。

 私も、幸いに東洋史学の出身でしたから、原書を読むことに苦痛は無く、殆どの原書を読みましたが、もしも、一流の四柱推命学を目指すならば、原書の解読位は出来なければ問題にも成りませんが、これらの原書は決して善意のみで書かれた物では無く、判った振りをする嘘や毒の含まれている、物である事をも意識して置かねばなりません。



 推命を深く研究をしていると称せられる先生方は、せめて窮通宝鑑や滴天髄の独自の翻訳位は、挑戦して見られては如何でしょうか。
 原書の読み下しは、一文で5種類位の読み下しと、解釈が可能な物です。
 他人の訳文を読んだ位では、問題にもなりません。
 自分で、原書を解読すれば、視点も変わり考え方も刺激を受け、新たな発見にも繋がります。
 一流をめざし、独自性を発揮する気持ちが有るのならば、原書の一つも読めない様では如何な物でしょうか。

緒方泰州の推命論   例えば  悪神論等について


 私は、推命学はただ単に、故人・先人の理論を継承するだけでは、推命学は衰亡劣化の一途を辿り学問性の無い、蒙昧な推命学になるだけであると考え、独自の理論を構築し、泰山流の範囲を乗り越えて、劉誠意の完成した本来の推命学を再構築する事に努め、さらに旧来の推命学の弊害を取り除いて、全く新しい独自の推命学を構築して参りました。

 
 お陰で、私が過去に沢山の先輩たちに学んだ推命学を棄却し、一般の現行の推命学とは全く違った、所謂、窮通寶鑑の調候用神法とは違った独自の用神取用法を構築し、緒方泰州独自の推命学を完成する事が出来ました。

 
 私の教室にても、月令を悪神とし、月令の悪い影響を緩和する物を用神として、命式自体の歪みを中和する事の出来る、星の選定と力量の把握によって、命式の用神の必要量を考え、幸せに成る為の努力の方法や努力の量を、計測する方法を、用神取用法論として教授してきましたが、これは泰州の推命論の表側の一部の理論であり、泰州の推命論の半分以下にしか過ぎません。

 
 もしも、用神取用法を完全に習得して、更なる鑑定法の習得を目指し、様々な学習意識を持って独自な発想を目指すならば、更なる鑑定力の向上が望めます。


 
 緒方泰州の種々保有する推命学理論のほんの一端ですが、例えば、悪神論に触れてみたいと思います。

 
 悪神論は、用神論と同等の同量の理論と体系を有しており、更に接近論と言って悪神がどの様な速度で、どの様な甘言を用いて近寄って来るかを、具体的に知る理論が有り、更には力量論によってその結果、どの様な被害程度を及ぼすか等を、判断する理論体系の基本なのです。
 
 命式に用神が完備していても、悪神が命式中に有れば、用神が完全に作用している期間は、悪神は大人しいのですが、用神の微妙な力量の変化に伴って、悪神は変化する力を持っており、普通に考えて用神の働きを邪魔する働きとは、また別の作用を保持し温存して、悪神として目覚める時期を静かに待ち、時至れば必ず作用を起す能力が有るのです。

 本人がどの様な誘いを受けるのかと言う、意識を以って防がなければ、必ず凶の作用を起こさんと狙っています。
 
 
 命式が同様の型式で出来て居て、命式中の用神の存在数も同様で有っても、悪神が命式中に有れば、運勢はそれぞれの悪神独自な影響を受けると考えねば成りません。

 
 命式中に悪神が存在すれば、悪神の存在する形状や力量は、用神の形状や力量が同一でも、別の作用の仕方をするのですから、用神が同一の命式でも、鑑定は自然に別々の鑑定を着けねばなりません。

 
 接近論とは、悪神や仇星や喜神等がどの様な姿、どの様な話し方で近寄って来るのか等の理論を、接近論と言います。

 用神は、元来無愛想な物ですが、忌神・悪神は愛想が良く、しつこく魅力的な姿で、繰り返し近寄って来るものなのです。

 

 また、閑神論は、閑神を普通の鑑定家は判断の材料とは考えていない様ですが、普段は静かで大人しい通変星の作用しかしない星の事ですが、命式の力量の変化に伴って、通変星の姿を捨てて、強烈な悪神に変化する事を知り、その変化を捉える理論です。

 用神論を完全に習得していれば、独力にても様々な悪神論周辺の理論の会得が可能かと思われます。

 
 泰州の推命理論にては、用神と調候用神と喜神と禁忌の星とは、全く別個の働きをする物と認識し、判断の仕方にも合理性と独自性を持って居ます。

 
 喜神が、特定の条件下では悪神以上の強烈な作用を起こす、喜神論に付いても、何れ何時か機会が有りましたならば、お話しょうと思います。

  

雑感 3

 
 今回は、原命式の示す災難と、現実の現象が違って見えるも、油断をすると本来の姿に戻る運命の話をしたいと、思います。

 生徒さんが、身弱多官の生年月日で、日干の通根の無い女性で50歳前の方の命式を、持ってこられたのです。
 この方は、非常に難しい病気に罹り、有名な大病院に入院して治療を受けておられ、治療が全く効かず助けて欲しい、如何すれば良いかと、生徒さんに鑑定を依頼され、生徒さんが私に尋ねて来られたのです。

 私は、官星が悪神で更に大過なので、結婚に難が有り、結婚出来ないか、結婚していても幸せな結婚に成って居ない筈なのであるが、どうなっているかと尋ねてみました。
  
 

  もしも、最初から結婚に難が有ったり、幸せでない結婚であったり、初めから官星悪神の作用が先祖の徳が無く、分散して災いが最初から分割でやって来て、少しずつ苦しめられていたり、余程に若い時から、運命の解る者に判断を仰いで居て、正しい努力をして、苦しみの素を解消し、幸せに成って居れば、先祖の徳分が切れたからと言って、改めて官星の災難が発生する事は、稀な事なのです。

 生徒さんの話では、とても良いご主人で、一流企業の重要な地位就いている、主人に当たって、幸せでセレブで何の不自由もなく、お孫さんにも恵まれて、ただ、内臓の器官の管が詰まっていて、それが取れなければ即死する事に成って居て、何度も施術を行っても全く効果が無く、如何したら良いのか判らないのだ、という話なのです。

 私は、この様に原命式の通りではなく、命式の運勢と違い幸せな人生を送って居るのは、先祖の徳分の貯金を取り崩して、幸せを演じ続けて来ただけですから、最後まで幸せな人生で終わる保証は有りません。
 若い時から結婚相手の相性や運不運等、官星悪神の対策を立てておかなければ、元来原命式の官星が悪神なのですから、何時れは躰の件か夫の件で、災いを受ける物だと思いました。
 


 但し、ご主人の生年月日は見ておりませんので、女性自身の身から出た錆なのか、ご主人の影響が、先祖の徳の保護が切れたために出て来たのかは、断定できませんでした。
 

 生徒さんは、断易も学習されており、病院の適否の易をも立てて来ていました。

 その卦を見ると、医者には全くその病気に対する、能力も知識もなく誠意も無く、別の病院に掛かり直すべきだと出ており、その様に勧めました。

 本人さんは、数回の施術を受け、全くその病院では効果が期待できず、担当の医師からは「これ以上は、どの様にも出来ません」との回答を受けているそうです。

 私の答えとしては、別の専門のお医者さんを探すべきで、大運からは絶対に死亡するとは申し上げれないが、五分五分だから時間の有るうちに、早く行動すべきですとお答えしました。

 一週間して、あの方はどうなさったかと、生徒さんに尋ねたところ、新しい専門の病院が見つかったのだそうですが、ご主人が「せっかく僕が一生懸命見つけてきた病院なのに、もう少し頑張って見た方が良いのでは」と言われ、転院することを諦めたそうです。
 これが、本来の官星の悪神の働きで、主人は繰り返し親切に、悪神の作用を誘いに来ます。
 
 これが、悪神が目覚め活動を始めた現象です。

 悪神は、先祖の徳分が有ると、40歳過ぎぐらいまでは、悪神の働きを止めてくれますが、40歳を過ぎると先祖の徳分だけでは全く効力を失い、今迄の幸せは、蜃気楼のように消えて仕舞ます。

 出来れば、最初の出会いから、良い相性の者を選び、良き運勢の者との縁を望み、自分の運勢の対策を良く考えて、よきアドバイスを求めて,更に自分だけの幸せに満足せず、少しでも人の苦しみに関心を持ち、少しでも人の苦しみを解く協力をし、神仏に手を合わせる事をして置かなければ、時至って悪神が動き始めると、止める事が不可能に変化し、最愛の良き夫と思って居た、主人に足を引かれ運を裏切られ、悪運に引き込まれることに成りかねません。
 

 ただし、結婚してしまった者は、手遅れですから、離れるべき等とは絶対に言ってはならず、少しでも災難を避ける方策を指示します。

 しかし運勢も病気と同じく、災難が早期で軽い内は癒し易く、遅れれば遅れる程、そして終末に近い程、打つ手が無く成ってしまいます。
 

 私に出来る事は、思い切って専門の経験のある病院に一刻も早く、転院を進める事ですが、通根の全くない人は、他人頼りで自分の気に入った様にしか動きません。

 人は、神仏に手を合わす謙虚さが無い故に、自我に固執し意見は聞きたいが、占い師と目下に見て、運勢通りに成る方が多い物で、推命の価値を無駄に扱われ、歯痒さと情けなさを痛感いたします。


 人間の運勢を変更する力は、1.先祖の徳分と、2.正しい自分に向いた用神の努力と、3.神仏の加護を求める事と、4、自分に余裕のある時は、他人の苦しみを減らすことで、自分の罪障を消滅する事ではないでしょうか。

 1.先祖の徳分は、有るか無いかは目に見える物では無いのですが、原命式で起こってくる悪い現象が我が身に起こって来ない時は、大概は先祖の残してくれたと徳分によって、執行猶予を与えられているだけで、40歳過ぎまでに問題の根本を消滅する努力をして置かなければ、改めて再び原命式中の悪神が活動を始めます。

 また、生年月日に出ていないにも係わらず、様々な悪い現象を見るのは、家系の悪因縁によるものです。

 例えば、本人の生年月日に癌を発生すると言う、星の情報が記されていない人であっても、癌を発生させて死亡に至ってしまった人が有りますが、後に良く話を聞いてみたところ、父親も祖母も曾祖父も同じ癌で亡っていることが判明します。
 この様に、人の魂は本人の者ですが、躰は先祖からの借りものなのです。
 家系の事は、占い師には与り知らない事ですから、自分の事は自分で知って予防をして頂かねばなりません。

 同じ家系の者が、平等に先祖の業を受ける訳では有りませんので、自分の責任を持たねばならない分量の、先祖の残した業を供養して、少しでも減少して置く事によって、先祖の負の遺産を引き継がない様に、知らずに持って居る先祖の業を少しでも減らすのが、先祖を満足させるような供養です。


 2.人は、運命の傾きが有り、悪神の誘い誘惑に特に魅力を感じ、自ら進んで悪運に傾く努力をするという、癖を持って居ます。

 人間は幸せに成る権利と、その為に果たさなければならない、個人的に大きさの違う、義務が有ります。
 
  
 その幸せに成る為の、義務の量だけ努力すれば、努力の分だけ災いが消滅し、楽に成るのですが、努力の方法が間違っていれば、努力は全く効果を挙げることが出来ないのも自明の理です。
この為にも、用神を知る事、用神に沿った努力をする事が大切です。

 3.神仏に手を合わせる
これは、謙虚な心を持ち頑なに成らず、あらゆる他人の意見を拒否せず、素直に他人の意見を聞き、一度自分で咀嚼してみる素直な心を持つ必要と、人知を超えた力を借りれる物ならば借りて見ようとする事の大切さです。

4.他人の災難を少しでも、取り除く為の協力をする。
災難を少なくする事は、先祖の徳分を宛てにするだけでは有りません。
自分の災難を少なくするためには、人の苦しみを少しでも軽くするように、手助けをすることも、有効な手段です。
少しでも、自分の出来る範囲だけでも、他人の苦しみを軽くする事で、自分の苦しみも減少します。
 
この要件の一つでも欠けると、そこから運勢の崩れが発生してきます。

雑感 2

 会社の経営者や、自分で仕事している人の話です。

 事業を起こす人は、財運が良くて会社を起業した人は少く、却って用神が関係しているのです。
 用神の運が30代~60代にかけて周ってきた人で、自分の得意な分野に力を注いできた人が、創業の人です。
 

 どんなに大きな会社に育ててきた人でも、自分一人の独裁で来た会社では、人の運勢には盛衰が有り、何時までも盛運を続ける事は自然の原則から不可能です。

 しかし、創業の社長と言う物は、多くは突撃隊長型の人が多く、自分に着いて来い、お前達は意見を言うな、努力さえすれば永遠に幸運が続くと考え、人を育てる事を考えず、運が悪くなってから、どうしたら運勢を回復出来るか、と尋ねてくる方が有りますが、時すでに遅く現状を維持するための努力しかなく、起死回生の時期を逸している場合がほとんどです。

 それ故に、運勢の良いときにこそ、悪い運勢の備えを怠らぬ様に考えるべきで、資金を蓄えて置く事や、将来の人材の確保にも配慮が必要です。

 折角備えたつもりで、間違った人材を確保せぬ様にも考えてください。
私の話ですが、わたしの先生が有る社長さんに、この新入社員は将来、重役にすれば必ず運がよく、社長の役に立つ人材に成るので、大事にする様にと鑑定してもらい、20年後に私の処にその重役にした、社員の鑑定を持ってこられました。

 私は、この方は頭の黒いネズミの命式ですが、と申し上げると驚かれて、なんで、採用したときにそれを教えてくれなかったのか、実は、この人間は息子と同い年で、後には息子の片腕として、育てて来ましたが、重役にして1年目に5000万円以上の会社のお金を横領して逃げたのだそうです。

 この様に、毒蛇の卵を鳳凰の卵と間違えて、大事に育てて孵化したら、自分に害をする物であったと言う様な者では、将来の備えに成るどころか、災いを招きいれる様な者です。
 

 この様な、鑑定をしたならば、完全に四柱推命家の責任であり、せっかく将来に備えようと考えた社長の前途を閉ざす、悪意の鑑定です。


 しかし、経営と言う物は自我のみを通し、能力のない息子に、何の補佐役も付けず、ぎりぎりまで実権を握り、運が悪くなってから経営を息子に譲り、どうしたら社運を上向ける事が出来るか、教えろと言ってくる方が多いのですが、一旦運勢が傾いてから社運を上げるには、腐った部分を削除する以外には、方法は有りません。
 

 この様に成る前に、運の良い誠実な社員の運勢を買い取るつもりで、採用して置いて、その社員を育てていけば、後継者の運が悪くとも、充分に補強が可能なのですが、如何思われますか。?
 


 推命は運が悪くなってから改善する能力よりも、運の開閉の時期を知り、それに正しく対応する事を目的にしています。

 事業が上手く行かなくなってその対策ならば、病気に成れば医者に掛かるべきであり、法律の問題で窮地に陥っているならば、弁護士に相談すべきです。

 推命家は、今から10年先、20年先にどの様な対策を取って置くべきか、どの様に努力すべきか、等の未来の姿を予め見せる事で、運が悪くなるまで気儘に行動し、その尻拭いをする事では有りません。
 運勢は、現在なんの問題も発生していない時期にこそ、予め鑑定を受けて未来の災難を避けるべきであり、災いに嵌ってから素の姿に戻すことは困難を伴い、元の姿に戻る保障もありません。
 

 本来生まれた時から、吉運の時期と凶運の時期と、災難の種類がわかるのですから、40歳に成って仕事もせずに家に籠ったり、せっかく築いてきた会社が崩壊するのを充分に避ける事が可能に成ります。

 また、運が悪く成った場合にも、経営者の運を買い取り自分の足りない運を補う事も可能でが、これも運が悪く成る前に、良い運の社員を登用することによって、社運を維持する事も推命学の能力の一つです。

 人に給料を払うのは、その人の経験や働きにお金を払うと思って居るようですが、実はその人の運の良さと、経験能力に給料を払うのだと言う事を知って置いてください。

 例え過去にどの様な経験を持って居ようとも、本人が倒産の運勢を持って居る者に、経営を任せたならば、必ずや近未来に会社を傾けて行く事は、自明の理なのです。

 人の運勢の発展期と言う物は、長くても50年短ければ20年が平均的な物です。
 創業期は、たとえ吉運でも苦労が多く、調子が良くなると一生ずっと続くと思いがちで、悪い運が来て初めて如何にも成らないので、占い師に如何にかしろと言い、手詰まりに成ると、推命は鑑てもらっても仕方がない、役に立たないと悪口を言う人が有りますが、とても不愉快な理不尽さを感じます。



雑感の1

 最近感じた事ですが、以下の様な経験をさせられ、憂鬱な思いをしております。

 最近感じた事ですが、運勢は却って10代までが余り良い運でなく、後に吉運の来る人の方が、人は努力をせねばならないと自覚が出来、却って幸せに成る可能性が有るのではないかと感じます。
 勿論、年少より運が悪くそのうえ努力もしないで、自分にも他人にも甘え通す人もありますが、この様な人の話は論外です。

 

 最近いやな話が幾つかあり、推命を続ける事に嫌悪を感じています。

 40歳にほど近い男性の話です。
 

 その男性は、幼少から鳴かず飛ばずの運勢で、中学・高校もそれほど良くも悪くも無く、私立の大学を出ている人でした。

 原命式は、運勢が悪く、官星悪神これは働きに行けば苛められやすい意味で、傷官悪神これは仕事辞めると次の仕事に付き難く、変なプライドを持たせる星の意味で、更に身弱、これは甘えて出来る限り努力しないで済ませる、または、価値のない努力を続けて裏切られる意味。
 

 更に、通根の無い、これは一度、何かを中断させると再起をしたく無く成る星で、この様な生年月日の人でした。
 それ故に、この人は結婚の件と、職業の件が悪く大変な運に入っているのですが、今、どの様にして居られますかと尋ねたところ、会社で嫌な事が有って長年家に引き籠っているとの返事です。
 

 如何すれば良いかとのお尋ねですから、自分でやる気を起こす事、ご両親の内の父親か母親のどちらかが、この方と一緒に行動し、職業に繋がる資格を取得し、一緒に仕事をする覚悟が必要と申し上げたところ、そんな事は出来ないと言われるので、このままでは、すぐに来る40歳まで今のまま何もしないで居ると、ご両親の運勢が無く成れば、生きていけなくなりますと、申し上げました。

 この答が気に食わないと言う事で、恨んでおられるそうです。

 人は、そんなに良い運勢の続く人は稀で、この世は一種の修行の場で、何らかの苦労を生まれる前から、持ってくるものです。

 人は、それぞれ個々の義務を果たすことや、人の災難を少しでも減らす事に協力する事によって、苦労や災難から逃れ解除される物で、逃げて歩いたり、他人に転嫁して楽に成る事は出来ません。
  


 更に、人生は日々の積み重ねより出来て居るもので、楽しい事ばかり追求していて、災いから逃れる小さな努力を避けてきたことによって、小さな災難を蓄積するのであって、突然に不運が起こって来た物では有りません。
 無事の運の時には、自分の楽しみのみを追求し、生まれたときから負わねばならない、将来の災難に備えることをせず、今の今、苦しいから、何の努力をしないでも、掌を返したように良くなる様にしろ、出来ないのか、出来ないのならば、そんな推命など価値が無いと言うような、事を思う人たちが多く居られ、それを他人の責任の様に思われ、推命学を非難されることに、非常に不快感を持ちます。

 一旦は運勢を踏み外しながらも、幸せに成る為の方法を指示させて頂き、それを本人が努力して、生きがいを感じられる、人生の本道に回帰される方も沢山有るのですが、その人たちは、苦しくとも私の指示に従い、楽をして本来の脱線する前の軌道に復帰した訳では有りません。
 人生を脱線したならば、元の本線に復帰するには、脱線してから現在に至るまでの時間か、それ以上の時間を必要とします。

 人生は、踏み外したと思った時には、早ければ早い程、修復に努力が少なくて済みます。
しかし、運の悪い時は良い考えが浮かばず、ゆっくり考えていると更に深みに填まる事に成ります。
 失敗をすれば、拘りを捨てて素早く回復の道を探るべきです。
 


 ところが、私が提案する事はすべて拒否し、自分の間違いから起こった事には責任を持たず、自分は努力せず、良い運の時には将来に備えず、捨てねばならないプライドや、幸せに成る為の自分自身への投資を嫌って、甘い言葉のみを囁いて呉れる人の言葉を信じて、誠心誠意の鑑定に恨み言を以て、応える人ばかりが多く、益々、推命学を教える事も、鑑定する事にも、人間の醜い一面を見る思いをし、推命学を教えねばならない自身に、嫌悪感を増大させてしまいます。











推命学と物差し

 推命学の鑑定は、生年月日を全体として判断を行っているわけではありません。


 実は、身旺身中身弱を最初の判断として、身旺は自分の事を先に考えず、周りの人の事を優先して、事に当たるべきであり、その後に周りの人が必要でなくなったことを、自分のために行動する。

 身弱の者は、他人に頼りたい他人に甘えたい、他人に任せたい、等の考え方をすることが、基本と成り、この行動から外れる事から、災いを発生させるという理論を用いて、判断を加えるのが、一番最初の物差しと成ります。


 二番目の物差しは、生まれた季節の月令の悪神の影響力を考え、その人がどの様な災いと成る心の癖や、行動パターンを原有の癖として持って居るかを計るのが、第二の物差しとして運勢の癖を計測します。


 三番目の物差しは、命式中の一番沢山有る通変星が、自分の運勢を狂わせようと、誘惑して来る星の影響力ですから、これもどの程度の影響力を持って居るかを計測します。
ここまでの事を計りに掛けることによって、生年月日の型式を分類するのです。

 次に、生まれ日の十干と生まれた月によって、用神・喜神・忌神を知り、それぞれの星がどの様な悪い働きをし、どの星がどの様な努力をすることによって、悪い現象を解除できるかを判断し、どれ位の努力をしなければならないかを、用神の数によって計るのです。



 この様に、推命学を用いて運命を判断するには、独自の物差しを持たねばならず、この物差しを教授するのが、推命学の学習ですから、泰州に推命学を学ぶ方々は、出来るだけ多くの物差しを聞き出してください。
 


 推命学は、憶える物ではなく、天地の理法を理解して、人事に生かすのが目的です。